長谷虎の歴史
<2018年6月27日、繊研新聞 差別化の原点より>
先日、繊研新聞に弊社の取り組みなどを取り上げて頂きました。
この記事は、繊研新聞の中堅紡績企業を特集した記事で、弊社のこれまでの取り組みや
現在、力を入れ取り組んでいる内容が記事として掲載されました。
日本の紡績は、ピーク時から比較すると現在の設備規模は、30分の1程度にまで縮小しています。
ここ数年を見ても事業環境は益々厳しさを増しています。
一方で、世界に目を向けると、人口は増加の一途をたどり、それに比例して衣料用の繊維消費量は年々増加。
国内の紡績規模は年々減少して来ましたが、果たして世界の中で技術レベルは低いのでしょうか。
いえ、日本の紡績は、世界の中で決してレベルが低い訳ではありません。
これまで長年にわたり得た経験やそれに伴う技術の蓄積など、技術レベルだけで言えば、
世界でも決して引けをとるものではありません。
つまり、どんなに高い技術があっても、それが世の中のお客様にとって必要とされなければ意味がありません。
また、必要とされる技術があっても、それをしっかりと発信して知ってもらうための努力を
しなければならないと痛切に感じています。
今年の6月、弊社のホームページをリニューアルしたのも、
まさに私たちの持つ技術や特徴を多くの人に知って頂き、
これまでの私たちの経験を通して、より多くの人や社会にお役に立ちたいという思いからです。
そして、この技術や経験を次に繋げていくことの必要性も強く感じています。
その一環として今年から特に力を入れているのが若手の教育です。
今年、10名の新入社員が新しいメンバーに加わってくれました。
3月下旬の研修を終え、4月7日からそれぞれ営業や工場などに配属されました。
配属後も定期的に研修を企画し、実施させて頂いております。
5月30日、元アップルジャパンの社長で、現在は株式会社コミュニカを立上げ、
日本の若者を育て、日本を元気にしようと活動されている、山元賢治様をお招きして、
「若者の覚悟」と題し、特別研修を実施させて頂きました。
あの、スティーブ・ジョブス氏から直接ヘッドハンティングされ、
そしてiPhoneを日本にこれだけ広めた山元様のご経験や、言葉の重み一つ一つは、
10名の新入社員にとって何よりの「しげき」となりました。
来年以降もこの研修を継続的に行い、新入社員及び若手教育の柱として行きたいと思います。
7月20日には、トヨタ紡織様の「安全体感道場」を新入社員10名全員で受講させて頂きました。
7月は、1日から7日までは全国安全週間でした。
4月に配属された新入社員が、少しずつ作業にも慣れ始めた時期でもあり、
こうした時期が最も事故が多いとも言われています。
そこで、今年から新入社員にこの安全体感道場の受講をはじめました。
新入社員一人ひとりにとっても、この時期に安全について学べたことは、本当に貴重な経験となりました。
また、今回の経験を単なる学びで終わることなく、
日々の作業や職場の安全レベル向上に繋げて行きたいと思います。
(社長室 長谷享治)
6月1日は当社の創業記念日です。
明治20年(1887年)に創業し、今年で131年目を迎えます。
こうして今日があるのも多くのお客様、お取引先の皆様、諸先輩方をはじめ
社員とその背後にあって支えて下さっているご家族の皆様のお陰です。
心より感謝御礼を申し上げます。
明治20年、初代長谷虎吉は地元との共存共栄を願い、当時なんの産業も無かった
地元に産業を興しました。
雇用創出することで、地域の発展とそこで暮らす人々の幸せ、そして、国家の繁栄を
願い続けました。その思いは、初代から今なお代々受け継がれています。
現在の礎を築いた、3代目の虎治にも、代々続くそうした強い思いがありました。
そして、3代目が特に力を入れたのは、社員教育です。
事業は人なり。
より良い仕事でより良い品物を作るには、それに携わる者の品性が高く無ければならない。
その思いの裏には、本人の若い時の苦難が大きく影響しています。
昭和初期、世界を襲った大恐慌は、当社にも例外なく影響しました。
生糸の相場は暴落し、その当時で100万円(現在の価値に換算すると10億円)の借金が残ったのでした。
当時、まだ10代だった虎治は、その光景を目の当たりにし、藁をもすがる思いで、
事業のことをある方に相談します。
その内容を聞いた廣池千九郎博士(モラロジー創建者、法学博士)の高弟、香川景三郎氏は
10代の青年にこう語りかけます。
「あなたは運命が悪い。もし運命が良ければ天下の財閥に生まれ、この様な借金に苦しむことも
なかったでしょう。だが、現在の運命の原因をいくら考えても仕方ない。
これからのあなたの運命を、あなた自身で良くしていけばよいのです。
そのためには、あなたの心づかいと行いによって、運命が変わってくるのですよ」
その言葉に強い衝撃を受けた青年に、さらにこう続けます。
「運命をよくするには、真の親孝行をしなさい。真の親孝行とは、心から親に安心、満足、
喜びを与えることです。親に仕えるのが天地の道であり、その親と子の道に絶対に服従しなければ
ならないのです。そして、親に安心を与えるには、尊敬し、兄弟が仲良くしなければなりませんよ」
その当時に虎治が認めた八訓が今でも残されています。
この17才の青年が書いた文字から、その時の強い決意や思いがひしひしと伝わってきます。
【八訓】
一、 忠孝
一、 正義
一、 勤勉努力
一、 生明日
一、 動世界
一、 常困難
一、 不相手人 為相手天
一、 商英雄
昭和五年四月十九日 之書実行 長谷虎治(十七才)
伝統と革新。そして、不変と可変。
創業から131年が経ちましたが、一貫して変わらなかったことは、創業者の理念と繊維に
携わってきたということです。私たちは繊維しか知りません。
だからこそ、繊維の可能性と魅力を誰よりも知っていると自負しています。
この長い歴史の中には、常に挑戦する姿勢がありました。
私たちもその挑戦する姿勢を失わず、新生ハセトラに向け邁進して参ります。
本日より、ホームページの内容もリニューアルさせて頂きました。
当社の事業の一翼を担う、紡績部門の内容を新たに加えました。
これから新しい取り組みなどにつきましても、随時アップして参ります。
引き続き楽しみにして頂ければ幸いです。
今後とも長谷虎紡績株式会社を何卒よろしくお願いいたします。
ゴールデンウィークも終わり、風薫る新緑の季節となりました。
さて、先月のことになりますが、4月2日、入社式が執り行われました。
今年は10名の新しいメンバーが、当社の一員に加わってくれました。
当日は素晴らしいお天気にも恵まれ、新入社員10名の爽やかでフレッシュな
雰囲気と相まって、本当に清々しい穏やかな一日となりました。
また、入社式の前後には様々な研修を開催させて頂きました。
ものづくりの基本となる、安全や品質について、基本的な社会人としてのマナー、
そして道徳と品性の大切さなど、その内容は多岐にわたるものでした。
新入社員10名も真剣な眼差しで、メモを取る姿にこちらも共感し、
これからの明るい未来を確信しました。
4月30日には、新入社員歓迎会を開催させて頂きました。
当日は羽島市内のグランドをお借りして、社内紅白ソフトボール大会を開催し、
皆で和気あいあいと汗を流しました。
ソフトボール未経験者もバッターボックスに立ち、皆で楽しく交流させて頂きました。
その後、場所を移し皆で歓迎昼食会を行いました。食べ放題メニューを選びましたが、
さすが10代の食欲はすごい!
見ているだけでお腹一杯に。若いパワーを頂きました。
4月21日には、当社のOB会である「桔梗会」が執り行われました。
今年でこの桔梗会も55回目を数え、今年は25名のOBの皆様にお集まり頂きました。
当日は、本社講堂にお集まり頂き、総会や記念法要、福安寺住職様のご法話、
そして会食を和やかに開催させて頂きました。
会食中は各テーブルで昔話しに花が咲き、皆様の笑顔と笑い声に溢れ、
会場内は華やかにそして若葉が光り輝くかのような雰囲気に包まれ、無事閉会させて頂きました。
こうして今があるのは、多くの先人先輩方のお陰です。
この桔梗会を通して、改めて当社に息づく長い歴史と伝統を感じました。
そして、今年新しくご縁を頂き、入社してくれた10名の新入社員の姿を通して、
この歴史と伝統をこれからもしっかりと繋げて行かなければと強く感じました。
当社も6月1日には131年目を迎えます。
新生ハセトラに向け、これから新しい挑戦をしていきます。
そして、当社の創業記念日である6月1日より、ホームページもリニューアル致します。
新しくなったホームページを楽しみに、また引き続きご覧頂ければ幸いです。
早くも1ヶ月が過ぎ、如月に入り2月9日には
平昌オリンピックが開会され、今から
日本勢の熱い戦いが繰り広げられると期待しています。
さて、先月の事になりますが、1月6日に新年を迎え
改めて社員一同の士気を高め
さらなる技術・センスの向上、躍進に向け努力
精進するよう、年賀式を行いました。
長谷虎紡績株式会社では毎月始めに月例会を
行っていますが1月の月例会となる年賀式では
社員一同非常に大切にしている道徳心について
正眼寺ご住職の山川宗玄老師をお招きして
記念講演を開催いたしました。
老師の記念講演での学びと致しまして
禅語「懸羊頭 賈狗肉」(ようとうをかけて くにくをうる)
見せかけが立派でも実質が伴わず
見かけ倒しのことを言うのだそうです。
我々も見かけ倒しにならない様に
仕事を一生懸命に行い
お客様に安心、喜び、満足をして頂ける商品
サービスをご提供し続けていきたいと
改めて身の引き締まる思いで拝聴いたしました。
大変遅くなりましたが、
皆様にとって幸多き1年になりますようお祈り申し上げ
年始のご挨拶とさせて頂きます。
本年も引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。
去る6月1日、本社講堂で創業記念式典を執り行わせて頂きました。
明治20年(1887年)に初代長谷虎吉が創業し
今年は130年という節目の年を迎えることができました。
これもひとえに多くの方々や
伝統に守られ生かされたからこそであると言えます。
心より御礼申し上げます。
創業記念式典では、正眼寺ご住職の山川宗玄老大師猊下様より
特別講演を頂きました。
講演の中で、山川老大師様と当社の繋がりについてお話しがあり
その内容は非常に興味深く、魂を揺さぶられるような内容でしたので
ご紹介させて頂きます。
今から40年前、まだ山川老大師様が雲水として
修行をはじめた頃にさかのぼります。
当時、岐阜県美濃加茂市にある正眼寺から
修行の場所を京都の妙心寺に移し
その当時の妙心寺派の管長であった
梶浦逸外管長様の隠侍(秘書の様な役割)
としてお仕えしていた頃の事です。
ある日、梶浦管長様より、直ぐに車を出すように指示され
管長様を乗せ京都の妙心寺を出発されたのだそうです。
行き先も告げられぬまま、「そこを右、そこを左」という声に従い
しばらく車を走らせると高速道路に乗り
それから更にしばらく走ると大垣ICの所で車を降りるように指示されたのでした。
大垣ICを降り下道を走ると、羽島方面に向かっていることが分かりました。
確か、羽島には梶浦管長様が懇意にされている
長谷虎紡績株式会社があり、そこに向かっているのが何となく分かったそうです。
しばらくすると、運転席から目に飛び込んで来たのは
工場からもくもくと上がる黒煙でした。
瞬時にこれはただならぬ事態であり
梶浦管長様が急ぎ車でここに来た理由も
はじめて理解できたのでした。
昭和52年(1977年)3月7日
この日昼過ぎに弊社平方工場から出火した火は瞬く間に燃え広がり
工場5棟(約8,000㎡)が全焼しました。
この火災によってカーペット工場にとって
最も重要な工程であるタフト機10台全てを消失し
我々にとってまさに存亡の危機を迎えたのでした。
梶浦管長様が羽島に到着された頃には
火災は幾分か沈静化しているとは言え
まだ騒然とした雰囲気だったそうです。
被災した工場を車中から確認し
車はそこから10分程の所にある長谷虎紡績本社に向かいました。
本社に到着すると、玄関には先代の長谷虎治社長他
重役が玄関で梶浦管長様を出迎え、直ぐに応接間に入りました。
ここからの出来事は、まだ若かった山川老大師様にとっても
非常に印象的なものであり、今でもその光景を思い出すそうです。
梶浦管長様は、玄関に入り開口一番「おめでとう」
という言葉を連発されたのでした。
大きな火災を出し、会社が潰れるかどうかの瀬戸際で
明らかに長谷虎治の顔は動揺し、その表情は暗く沈んでいたものでした。
そこにいきなり、「おめでとう」という言葉をかけられ
困惑の表情であったようです。
山川老大師様は、これから二人の間でどのようなことが起きるのか
注意深く傍で見なければと瞬時に思ったのだそうです。
応接間に入り、長谷虎治は梶浦管長様に
火災の状況の報告などをひと通り説明を始めます。
明らかにその表情は不安や緊張
暗い表情でうつむき加減であったそうです。
大きな火災に見舞われた直後であり、それも無理はありません。
それに対して梶浦管長様は、「うん、そうか、そうか」と
素っ気ない返事をするのみ。
時折、「良かったじゃないか」と拍子抜けする返事に
明らかに長谷虎治は困惑の表情をしていたのでした。
更に、うつ向き加減で話しを進めると
その話しを遮るかのように
「あんなボロ工場燃えて良かったじゃないか」
という言葉を浴びせかけたのでした。
その瞬間、はじめて長谷虎治は顔を上げ
グッと睨みつけるような目で梶浦管長の目を見たのだそうです。
そして、梶浦管長はそれを待っていたかのように
もの凄い迫力で「だから、おめでたいと言っておるのじゃ!」と
一喝するように畳み掛けた瞬間
長谷虎治は何かを悟ったかのように
ふっと落ち着いた穏やかな表情になったのだそうです。
山川老大師様は、その表情の変化と空気が変わったことを
今でもよく憶えているそうです。
その直後、長谷虎治は応接間にある電話を取り
何箇所かに電話を始めたのだそうです。
それを見た梶浦管長は、「うん、それで良い」という言葉を残し
長谷虎紡績を後にしたのだそうです。
この時、長谷虎治が電話をした相手の一人が
機械商社の日光商事(現ニッコーテクノ)の宮西社長様であり
この一本の電話がその後に「奇跡」とも言える、復興に繋がるのです。
(通常、機械の発注から据付までに約半年かかるのが
火災から3週間後には工場に届くなど、いくつもの幸運に恵まれ現在の当社があります。)
梶浦管長は、「おめでとう」という一言で
相手の沈んだ気持ちを奮い立たせ
燃え上がらせ、そして冷静にさせる。
恐らく、あの時自分自身を見失った状態であったならば
長谷虎治は経営判断を的確に下すことが出来ず
今の会社は無かったかもしれません。
この二人の間で繰り広げられたやり取りを改めて聞き
鳥肌が立つような感覚を受けました。
記念講演の後、山川老大師様と懇談する中で
この火災からちょうど今年で40年という節目を迎えることをお伝えすると
山川老大師様は少し驚いた様な顔をされこうお話しくださいました。
この日、もともとこの火災でのエピソードを
お話しする予定は無かったのだそうです。
講演を進める中で、ふとこのエピソードが頭をよぎり
この話しを始めたのだそうです。
「もしかしたら、この話しをしなさいと
会長さん(長谷虎治)が導いてくれたのかもしれませんね」
と優しく語りかけてくださいました。
節目ということを大切にすること。
そして、過去に起こった様々な出来事の意義を知り
それをどう捉えその先に活かすか。
この130年という意義を改めて感じると共に
150年、200年に向かって参りたいと思います。
今後共、皆様からのご指導ご鞭撻の程
よろしくお願い致します。